西側の区画は特に荒廃した空き家が目立つ。屋根瓦や壁の崩落具合も酷いったらありゃしない。おまけに目の前の道路は路駐天国になっている。
さらには屋根が崩落しかかっている箇所に無理くり支え棒を噛ませて辛うじて姿を留めている建物まである始末。屋根が耐え切れずに落ちたら両脇の家屋にも間違いなく被害が行くはず。
もうとっくに住民が立ち退いた後のようだが、支え棒というよりヨレヨレの枯れ木を噛ませている当たりビジュアル的にヤバイ。
こんな荒れ果てた場所だとゴミの無断投棄も多いのだろう、鋭い狼の目が睨みつける警告文が書かれた横断幕も見られる。無断投棄は100万ウォン以下の罰金が課せられると。
こちら側は廃屋も多い一方、現在進行形で暮らしている住民も多い。3~4軒あったらそのうち1軒は人が住んでいて、残りは廃屋といったところか。残る家屋も好き勝手に建て増ししまくっていて建物の原型がどこからどこまでか見た目にも分かりづらい。
西側区画の長屋に挟まれた路地に足を踏み込む。ここはもう九龍村と全く同じテンションである。手前の方はまだ人が住んでいる家があるが、奥の方は…
廃村そのものの風景に成り果てておりますね…足元から建物から枯れ草が伸び放題になっていて、とうに住居としての役目を終えたようです。南無…
こちらの廃屋の玄関先に仁川富平警察署が貼り付けた立入禁止の警告文が。
足元に敷き詰められた正方形のコンクリートブロックもまた日本時代のものだろうか。この土地と共に生きてきた人々、特に年配者には「富平2洞」という今の呼び方よりも日本時代の「三菱(미쓰비시)」の名前の方が通りが良いそうで。
こんな廃れた佇まいの一画にも居住者の生活音やラジオの音声が聞こえてくる。恐らくはトイレも上水道もろくにない生活を一生続けてきた人もいるのだろう。日本だったらせいぜい80年代末で無くなってそうなレベルのスラムに思えますが…
実はこの旧三菱社宅、韓国日報のこちらの記事によると、韓国の大統領直属地域発展委員会による「生活環境改造プロジェクト」の対象地域に選ばれ、今後公金によって地区が整備される見通しになっているそうだ。具体的な予定は分からないが、建物の寿命もあるしあと数年すると見納めとなる可能性は高い。
ちなみにこの場所の存在を知ったのは「韓国古建築散歩」というサイトでこの地域が紹介されていたのを見たからだ。日本語で当地の情報をネット上で調べても、このサイト以外はほぼ皆無。もしもここで富平区の存在を知るきっかけが無ければ、仁川観光は普通にチャイナタウン周辺を見回るだけで終わっただろうな。
さらにこの近くにもう一ヶ所ボロ長屋地帯がある
だが旧三菱社宅スラム地帯はこの一画だけに終わらない。少し西側に離れた区画にも僅かにオンボロ平屋がこの通り連なっている。同じ三菱社宅かどうか不確かだが、場所も見た目も非常に近いのでほぼ同一のものと見ても良いだろう。
こっちの家々は屋根の上まで生活空間を有効活用していたようで、雨漏り対策の防水シートの重しに使っている古タイヤだけに限らずキムチ壺やら何やら私物がかなり積まれている。
足元に広がる蟻の巣のような路地に足を踏み入れるとこの有様。廃材や割れたガラスなどが無造作に散らばっており完全に廃墟探索モードである。もう完全に住民が居なくなった一画のようだ。
主を失った廃屋。屋根が抜け落ちてその下の生活物資が日光の下に晒されている。座布団や洗剤の空ボトルはともかく、安城湯麺やユッケジャンラーメンの即席麺類がやけに多いあたり生活臭を漂わせていて、なんともいたたまれない気持ちにさせてくれる。
住居でなく倉庫として使われていた一室。ここもキムチ壺に加えて、梅か何かを漬けたままの、もう誰も口に付けないであろう果実酒の瓶が置かれたままになっていた。
今この廃屋化した「日帝残滓」の旧社宅群を占拠していたのは、主を持たず気ままに暮らしている野良猫達ばかりであった。
ただ、その隣の路地に面するお宅はところどころ未だに人が暮らしている様子がある。
この場所で住民のハルモニとバッタリ遭遇して、こんな所でイルボンサラムが何を…とこちらとしてはバツが悪いのだが、別に嫌な顔をするでもなく「後ろ通るからごめんね」みたいな事を言われただけだった。内職仕事なのか何なのか、大量に荷物やガラクタを積んだカゴを近くの車道に置いていた。
この区画の家々もトイレがまともに無いお宅が多いようでこのような共同便所らしい小屋が併設されている。住民が居なくなるのが先か、行政の手が入るのが先か、いずれは消えていくしかない「日帝残滓」の一つであるには違いない。